1965-04-14 第48回国会 衆議院 社会労働委員会 第19号
今後の原子医学の発展のためにも、私はこういうものはやはり少し金を使ってでもきちっとして整備させておく必要があると思うのです。一つ一つの病例について、一つ一つの検査の成り行きについてやっておく必要があると思うのです。これは役所が金を出して、ある程度美甘先生あたりにいま言ったようにお頼みになるならば、こういうところの資料もやはりまとめておいてもらう必要があるのじゃないですか。
今後の原子医学の発展のためにも、私はこういうものはやはり少し金を使ってでもきちっとして整備させておく必要があると思うのです。一つ一つの病例について、一つ一つの検査の成り行きについてやっておく必要があると思うのです。これは役所が金を出して、ある程度美甘先生あたりにいま言ったようにお頼みになるならば、こういうところの資料もやはりまとめておいてもらう必要があるのじゃないですか。
このたびの予算で広島大学及び長崎大学に原子医学関係の研究訓練の施設を作ることになったわけでございますが、これは実は、前からのいきさつがございまして、ただいま大原先生のお尋ねの中にもございましたように、余剰農産物協定が締結されました当時から、この両大学では、原爆関係と申しますか、原子医学関係の研究治療施設を作りたいということで、いろいろ関係当局に要請をいたしておったところでございます。
それはつまりわかりやすく言うと、原子医学というようなものであります。原子爆弾の放射能に対する予防対策は、そのアイゼンバツドさんがやつておる原子力委員会の中の保健安全部門。しかし今私が申し上げました通り、放射能といいますか、放射線といいますか、それは原子爆弾に結びついたものばかりではないのであつて、むしろ平時においてはもつとほかの面で非常に広く用いられておる。
つまりアメリカの大使館なりあるいはアメリカの原子医学は日本よりも相当進んでおるであろうと私どもはしろうと流に考えておるのでございますが、そのアメリカが、今日東大病院に入院しておる二十三名の治療に対してどの程度の協力をされておるかということをお伺いいたします。
またほんとうに人道的な立場に立つてこの秘密を公開して行こうとする学者諸君に対しては、圧迫があるのじやないかというように考えまして、おそらく世界で一番進んでおります日本の原子医学の研究を妨げ、さしあたつて治療方法の研究を妨げると思うのでありますが、これに対して厚生省は断固とした態度をもつて学者諸君の研究を守つて行けるか。治療に万全を期し得るか。
あるいは現地のこういう原子医学に対して、外務当局として折衝されるのにはもう少し御理解がほしいのであります。こういう速記録から申しますと、これは大分はげた頭としか私どもには考えられぬのであります。今後こういう放射能の解明は、近く国会に提出されます――提出されましたかと思いますが、秘密保護法との関係はどうなりますか。
従つてこれはこういう患者さんにとつては、悲痛な叫びですが、こういうことを二十一名の患者さんの納得の上で、現在東大におられる二人の患者さんとともに、やはり総合的に、早くなおるような対策を講じていただくことが、私は患者のためにとつてもいいし、今後の日本の原子医学のためにも非常に大事なことじやないかと思う。
今度の場合にも、おそらく原子医学というものが設立をされておらなかつたために、日本の医者では措置ができないというような場面も出て来ておると思うのであります。この際農林大臣に特に伺つておきたいが、今度の実験というものが、かりに水中で行われておつたというようなことになると、現在南洋方面に出ておるところのまぐろの水産業者というものも非常な打撃を受ける。
この問題は、国際法上も、あるいは原子力管理の問題、あるいは原子兵器禁止の問題、あるいはその後国家補償の問題等、幾多の問題もありまして、外務委員会あるいは予算委員会、水産委員会で問題になつておりますが、私は衛生立法上、あるいは衛生行政上、あるいは原子医学上、あるいは患者の対策上、非常に重要な問題と思いますので、大臣にお尋ねしてみたいと思うのであります。
従つてこれに対して今後原子医学を究明する上において、私は日本人は相当の決意を持つて、そうして日本人自身がこういう問題に対するところの恐るべき災禍について他の人類にも貢献する大きな責務がある。そういう意味で、今後原子医学上いろいろとこの問題を御研究されると思うのですが、科研にいたしましても、あるいは予研にいたしましても、その他研究機関どこどこにいたしましてもほとんど予算がございません。
○小林(進)委員 私はおいおいにお聞きしたいと思つているのでありますが、大体私どもが永井博士を知つたのは、新聞報道によつて初めて永井博士という方の人格も頭に入れたのでありますが、その新聞の最初の報道というものは、長崎医大で原子医学を專門とする永井教授は、原子爆彈でその妻を失い、自分も重傷を負つて、余命幾ばくもないと診断されている。